片山農園の歴史History
片山農園が小玉スイカで有名になったのは、30数年前の出来事があったからです。安一がスイカを作り始めて、2、3年頃でした。
温度管理など、いろいろアドバイスをいただくことがありましたが、それまで上手にスイカが作れていた
ので、それを聞かずに失敗して、春スイカを全滅させてしまいました。 奢りもあったと思います。
スイカ畑が全滅したため、2月3月と時間が出来たので、小玉スイカで有名な群馬県の藪塚町に見学に行く
ことにしました。
そこで、「熊本では小玉スイカは作れない」と言われましたが、挑戦してみようと思いました。
熊本に戻り、妻と協力して試行錯誤の毎日でした。
最初は、かんぴょうに接木して挑戦してみましたが、青枯ればかりで、失敗。
失敗しても「美味しいスイカを作りたい」という夢に向かって、夫婦で支え合いながら頑張りました。
その時、益城町で野菜の接木に冬瓜(トウガン)を使っていると聞きました。
小玉スイカでやってみると、どうだろうかと思い、冬瓜に小玉スイカの芯を接木してみたところ、
美味しいスイカを作ることが出来ました。
同じ作物を続けて同じ土で栽培することを、連作といいますが、実はスイカは連作できません。
3月から6月にかけて小玉スイカを接木して育て、6月から8月の大玉スイカは接木ではなく地根で育てます。
このように、接木のおかげで連作ができるようになりました。これが、大きな要因の1つになります。
安一は、冬瓜に接木するとスイカがうまく作れることを発見しました。
しかし、このことはスイカ農家さんであれば、一度は聞いたことがあるかと思います。
なぜなら、どうやって作っているのか尋ねてくる人全員に、この方法を教えたからです。
「こんなにすごい発見は皆には秘密にして、自分だけのものにしたほうがいいんじゃないか。」と
考える人がいるかと思います。
安一はこんな風に考えていました。
「最初は独り占めしてもいいかもしれないが、1人の力には限界がある。」
「農業は1人では出来ない。」
「植木を小玉スイカの産地にするには、周りの人と一緒に作り上げていくことが大切。」
この考えがあったので、安一は勉強部会を作って、冬瓜に接木する方法を、皆に教えることにしました。
JA鹿本に夫婦で参加してもらい、最初は7~8件ほどの参加者でした。
その後、「小玉会」と勉強部会の名前を作って、今の小玉スイカ「ひとりじめ」を、みんなで作り上げて
いきました。
こうして、ノウハウを独り占めせず、皆に教えていき、互いにスイカの質を高めていったことが、片山農園が小玉スイカで有名に、ひいては植木町が日本一のスイカ産地になることに繋がりました。